【ニチコミ コラム】障がいと私

2018 年 3 月 12 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは。kenchanです。

各国の選手が活躍し、日本も過去最多のメダルを獲得した冬季オリンピックが終わったと思ったら、つい先日にはパラリンピックが始まりましたね。

各選手の皆さんにはオリンピックにも負けない熱戦を期待したいところです。

 

ところで、このパラリンピックの理念というのを皆様ご存じでしょうか?

オリンピックの理念である「スポーツを通して文化や国籍などの違いを越え、フェアプレーの精神を培い、平和でより良い世界を目指す」というのは聞いた事があるかもしれませんが、パラリンピックの方はそこまで周知されていないように思えます。

かくいう私も不勉強なもので今まで知ることがなく、いい機会なので調べてみました。

 

パラリンピックにはなかなか「これが理念だ!」というものが見つからず、ただその中で見つかった「パラリンピックは障がい者にスポーツ活動の機会を提供する理念『機会均等と完全参加』と、『障がい者のスポーツのエリート性』を表す言葉(引用:日本パラリンピック委員会ホームページ )」というものが、強く目につきました。

これは私たちニチコミの掲げる理念でもある「誰もがいつまでも活躍できる社会」、その基本概念の一つでもある「チャンスや機会が無い人々に活躍の場と機会を提供する」に通じるものがあると感じたからでもあります。

 

普段、私たちは高齢者の方を相手にする機会が多いので、「誰もがいつまでも活躍できる社会」ということを考えると、高齢になっても元気で活躍できる社会と考えていますが、今回は少し視点を変えて、高齢者以外の「誰もが」とは誰なのかを考えてみることにし、その中には障がいを持つ方も含まれるのではと考えました。

 

こう考えるのも訳がありまして、私自身が耳に障がいを持っているからです。別に隠しているという訳ではありませんし、機会があれば自分でも言ってはいるのですが、やはりどうしても目に見えない部分ですので気付かれなかったり、もしかしたら忘れられている可能性も……。

 

誤解のないように書かせていただくなら、俗に言う不幸自慢のような意味ではなく、また同情がほしいということでもありません。

私が言いたいのは、背が高い人・低い人、歌のうまい人・下手な人といった個性のように、障がいはただ、できるできないといったことが極端に大きく見えるだけで一つの個性である。小さな障がいではありますが、物心ついてからそれに付き合ってきた経験から私はそう思います。

 

もう10年程前になりますが、フレンドシップキャンプという、障がいを持つ子と持たない子が一緒になってキャンプをするという催しに参加させていただいたことがあります。

そこでは障がいのあるなしに関わらず、子どもたちは全員元気にキャンプを楽しんでいました。むしろ障がいを持つ子の方が「あれをやろう!」「あっちに行こう!」とみんなを引っ張っており、全力で楽しもうという姿勢が強く伝わってきました。他の子たちも、その意見を受け入れ「よーし、行くぞー」と車イスを交替で押したり、ボートに乗る時に手を貸したりしながら一緒になって遊んでいました。

そこには相手を思いやる気持ちだけがあり、障がいを悲しいもの・かわいそうなものという気持ちは見当たりませんでした。

わずか5日ほどの参加ではありましたが、心のふれあいを感じ、障がいのあるなしなど些細な問題ではないかという気持ちが強まった経験でもあります。

 

社会に目を向けますと、以前はあまりなかった雇用関係も徐々に大企業などが雇用を広げてきていて、さらに「一つの物事に限定すれば、健常者よりも優秀だ」と言う企業もあったりするほど、障がいはハンデではなく、場を用意すれば活躍できるということが認識されてきています。

とはいえ、まだまだ雇用率が低いのが現状。ですが厚生労働省など、国も障がい者が活躍できる環境を作るために動いており、徐々に門戸は大きく広がってきています。

 

人は必ず年を取ります。いつ体が不自由になるかも分かりません。私もそうですし、親兄弟など愛する人がなったりする可能性も否定できません。

そのような状況になったときでも、愛する人が笑って活躍できる社会であれば、それはとても素晴らしい社会ではないでしょうか。

その素晴らしい社会の実現に向けて、微力ではありますがこれからも頑張っていきたいと思います。

 

その決意を忘れないためにも、まずは障がいがあっても活躍し、夢と感動を与えてくれるパラリンピックを見て、彼らの強い意志や勇気を分けてもらおうと思います。

Kenchanはパラリンピックを応援しています。頑張れ、ニッポン!!

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