岡山県瀬戸内市「気になる地名」

2010 年 12 月 22 日 水曜日 投稿者:wakkie

みなさんこんにちは。

今日は神戸本社のワッキーが、いつも老人クラブの広報紙のお手伝いをさせていただいている、「岡山県瀬戸内市」についてお話ししたいと思います。

さて、ある日のこと、瀬戸内市老連の広報紙を編集していると、私の目に「福岡」なる地名が飛び込んできました。

福岡といえば福岡県ですが、このたびの福岡は、瀬戸内市長船町にある地名のひとつです。九州の福岡と、中国の福岡。何か関係があるのでしょうか?

……気になる!

というわけで調べてみたところ、2つの福岡に接点があることがわかりました。

瀬戸内市のあたりはかつて備前と呼ばれ、長船町にある福岡は、鎌倉時代から江戸時代にかけて吉井川の水運によって「備前福岡市」(びぜんふくおかのいち)として栄えた地域で、当時は西国有数の賑わいだったといわれています。

備前福岡市のようす

この地では「福岡一文字」や「備前長船」といった有名な刀工派閥が生まれていますが、その名を一度は耳にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

刀といえば武士ですが、この福岡の地で武士として成長した武将に、これまた有名な黒田氏がいます。

黒田氏は、黒田重隆の時代に備前福岡より播磨国に入り、姫路城の城代となってその身分を高めました。しかし、黒田氏といえばなんといってもこの人、黒田官兵衛です。

黒田官兵衛

関ヶ原の戦いで大きな戦功を立てた、黒田官兵衛。その後は鮮やかにその身を政局から引きますが、同じく関ヶ原の戦いで活躍したその子、長政は、徳川家康より勲功第一として九州の筑前国に封じられます。

黒田長政

姫路城城代となった重隆から4代目となる長政。戦乱の世が平定されて、黒田の名を確たる大名として全国にとどろかせたその思いは、どのようなものだったのでしょうか。

父・官兵衛の意思をついで黒田氏を率い、筑前国に移った長政は、その新しい城下町に、黒田氏ゆかりの地の名称をとって、「福岡」と名付けました。まさにこれが、現在の「福岡県」や「福岡市」の名称の由来となっているのです。

いやはや、地名ひとつをとっても、そこには深い歴史と、時代を生きた人々の思いがあるものです。

そんなゆえんを持つ「備前福岡」のある瀬戸内市に、みなさんも一度訪れてみてはいかがでしょうか。

ワッキーでした♪

コメントは受け付けていません。